本日の読書 平山瑞穂『冥王星パーティ』

冥王星パーティ

冥王星パーティ

 タイトルはとってもキャッチーでつけ方が巧いと思うんですが、なんというか…私にはダメ。合わなかった。そう思うのはきっと私が女性だからでしょう。男性が読んだら、まったく違った感想になりそう。
 第1章、第2章と物語は祥子の視線で語られるので、必然的に祥子の物語としてこの作品を読むことになる。父親を始め、友人、交際相手と、とことん周囲の人間に恵まれずボロボロになって堕ちていく祥子の姿が、ひたすら気の毒な物語だ。
 祥子が引寄せてしまうのか、彼女の周囲に集まってくるのは大事な何かが欠けている人間ばかり。そんな周囲の人間に翻弄されながらも、それでも気丈に振舞う祥子が哀れで、なんとかして浮上してもらいたい、と同時に、読み手としてもカタルシスを感じたいと願いながら最終章の第3章を読んで、唖然とした。
 これで本当に彼女は救われるのか?単に加害者たる男性側にとって、都合がいいだけじゃん!そんなとってつけたような結末が不満だ。この物語で作者が何を描きたかったのか、それすら私にはよく判らなかった。第3章で唐突に視点が変わるのもヘンな感じがする。
 「なぜ私は、今ここにいるんだろう。もしあの時、あの選択さえしなかったら、今の私は一体、どこにいたんだろう」とは、誰もが絶対といっていいほど考えたことがあることだと思う。それを土台としてるんでしょうが、、、どうしても祥子に感情移入して読んでしまうからこんな最後じゃ、ものすご〜〜くフラストレーションがたまるのよね。男性側に都合良すぎなのも癪に触る。この作品を女性作家が書いたとしたら、こんな結末にはならなかったと思うなあ。
 発表する作品ごとにがらり作風が変わるところが面白いし、文章も巧い作家さんだとは思う。だけど、いかにも男性作家が書いた作品なのよねえ。。。
 次回作はどんな作品なのか、楽しみにしてます。