本日の読書 野呂邦暢『愛についてのデッサン―佐古啓介の旅』

愛についてのデッサン―佐古啓介の旅 (1979年)

愛についてのデッサン―佐古啓介の旅 (1979年)

 ものすご〜く良かった。20年以上前に刊行された本で、古めかしく感じるところが多少あるものの、一つ一つの文章が生き生きしていて新鮮。言い回し一つとっても「お!」と思わされるところがあって、今の小説にない面白味を感じた。毎回ちょっとした謎が用意されていて、そういう意味で「日常の謎系の小説」に片足つっこんでいる作品なのかも。
 主人公が25歳の古本屋店主と若者ゆえに、古本小説と同時に青春小説でもあるんだけど、そのバランスが絶妙。若さゆえに感じやすく傷つきやすい青年啓介が、一喜一憂するさまが読書の楽しみだった。作中登場する(実在する著者と著作から引用したのかな?)詩と、共感共鳴するところがすごくいい。
 人の手を経てきた古本を扱うということは、本にまつわるたくさんの人間の人生まで背負い込んでしまうところがあるのかも。商売を続けるうちに狡猾さなんかも身のうちに生まれてきて、古本屋としての業としなやかさ実直さという性質とが反発し、苦悩するところなんかも読ませる。
 連作集なんだけど、その底辺には「父親はなぜ生まれ故郷の長崎の地に帰らなかったのか?」自分のルーツ探しが流れている。息子にとって必要なのは、父親を越えることなのだな、と思った。人間的成長の物語でもあったんですねえ。
 そうそう、作中に秋月老人なる人物が登場するんだけど(63歳で老人なんて呼ばせるな!こういうところに時代を感じるなー)、この人物が熟年離婚した理由に笑った。私も、それ、したいー!(おい)で、その彼がこう語るのだ。

 本というものは人間を裏切らない、と老人はつけ加えた。自分は七十まで生きるつもりでいる。いま六十三歳だからあと七年間、ざっと二千五百日残っている。三日で一冊読むとして七百冊は読める計算になる。…

 「七百冊しか」ではなく「七百冊は」とポジティブに考えているところに好感を抱いたものの、でも結局…なところに感じ入ってしまった。[うん。この上なく素晴らしい1冊の本と出会い、幸せな思いで本を閉じられたら、それだけでいいのかも。]
 啓介のように実直で瑞々しい文章が好き。作家の急逝で、啓介のその後が読めないのが、非常に残念。再評価されますように!