三浦しをんと菅野彰

 夜更けに、どうしても炭酸飲料が飲みたくなって、ジュースを買いに夜更けのお散歩。昼間読んだしをんちゃんのエッセイが記憶のどこかに引っかかっていたのか、ダンナの分、ついファンタグレープを買ってしまった。「えー?」不満げな声をあげるダンナにしをんちゃん『人生激場』収録の「つぶにかける情熱」を朗読して聞かせ、「昼間読んだらさ、ご近所に聞こえちゃうぐらいの大声で笑っちゃったのよッ!!んもーダメ。笑いのツボ、刺激されまくりなのぉ」しをんちゃんのエッセイの面白さをこんこんと説明する私。が、それに反してダンナ「そりゃ面白いのは分かるし、俺だって読んでも笑っちゃうけど、でも頭のどっかが冷めちゃって、心の底から笑えないんだよねー」と言う。ダンナ曰く「しをんちゃんのエッセイはしゃべり口調。おしゃべり、つまり耳から聞く分にはいいんだけど、それを活字として読むには、なんだか違和感を感じる」のだとか。なるほどねえ。ただ、菅野彰のエッセイは心の底から大笑いできるんだそうな。ので、昼間私が考えに考えた「三浦しをん菅野彰のエッセイの違い」についてこんこんと説明してみる。
 曰く「菅野彰本人はいたって常識的な普通の人間なのに、彼女を取り巻く周囲の人間たち(友人&弟&母親&親戚一同などなど)が異様にこゆい人たちばかりなの。彼女のエッセイは“周囲の人間たちに翻弄されまくり流されまくりでトホホな私。嗚呼、恥ずかしい…。”で“羞恥する私”、つまり自分自身を見つめる視点が常に存在するんだよねー。そこがしをんちゃん(や、るえかさん)みたいな、エッセイで自分語りする本人自身がこゆい人たち(←他者と少し感覚が違い、自分自身のヘンさを売りにする)とは違うところなんだよ、たぶん」。
 ダンナには「なるほど!だから俺みたいな常識的な一般人は、菅野彰のエッセイに共感するのか」感心されたけど。をい^^;。誰が一般人だってー?
 しっかし、最近の私のお気に入りのエッセイストはみな女性ばかり。男性で私を爆笑させてくれるような面白いエッセイを書く人間は、いないものなのか(ため息)。