翔田寛『誘拐児』

誘拐児

誘拐児

 第54回江戸川乱歩賞受賞作。アマゾンレヴューで酷評されてるのを知って、どんなもんなのか読んでみたんだけど、、、(汗)。実力のある作家さんだとは思うものの、うーんうーんうーん。ミステリとしてはイマイチかな。
 冒頭、時代は昭和21年。身代金目当ての児童誘拐事件、緊迫した状況での身代金の受け渡し現場から幕を上げるのだが、本編は時代を一気に下がった昭和36年が舞台。殺害された女性の死の真相を追う刑事達の物語と、亡き母が遺した言葉から自分が誘拐された子供ではないかと自らの出生に疑問を持つ青年の物語が交互に綴られる。女性の死はどう誘拐事件と繋がるのか。青年の母親が誘拐犯なのか?間もなく時効を迎える誘拐事件、そして女性の死の真相とは?
 結局は、

言ってみれば、あの終戦直後の滅茶苦茶な世の中では、すべての日本人―いや、この国で普通に生活していたあらゆる人間が、生きてゆくことだけで精一杯だったんだ」
「どんな人間でも、いつ何時、凶悪事件を起こしてもおかしくなかった、そういうことですね」
「やりきれん話だが、まさにその通りさ。追い詰められ、わが身が危うくなったとき、人間の本性が剥き出しになるんだ。他人を蹴落としたり、騙したり、人のものを盗んだりして、がむしゃらに生き抜いた奴らが、信じられないほど大勢いたことだろう」
「少なくとも、和田耕造はその一人ですね」
「そうだ。しかしな、それとは正反対に、まっとうな人の心を失わず、慎ましく懸命に生きた人間も少しはいたはずさ。一方が鬼なら、他方は仏だよ」
「鬼は大勢いるのに、仏はほんのちょっぴりですか。嫌な時代ですね」  p.254〜255

この箇所で、この物語の全てが語れてしまう気がする(汗)。派手なようで地味というか、ミステリというよりも人情話というか。丹念に事件を追って書き込んではいるものの、それが裏目に出て、2つの事件が繋がる爽快感がさほどなく、なんだかもっさりした印象を受けてしまった。
 戦中戦後の時代の空気の描写はよかったけど、刑事パートと青年パートを交互に語ることによって読者に手のうちを明かしすぎた感があり、ぐわんと感動すべきエピローグで、感動し損ねたのが残念(刑事パートで刑事コンビ同士の反目が描かれるのだが、そもそも4人の書き分けができていないので、読んでいて混乱してしまった。4人でなく、2人でよかったのにー)。
 私にはこの作品はイマイチだったけど、他の作品はどうなのかな?ミステリ・フロンティアの作品など、ぜひ読んでみたいー。