昨日の読書 多和田葉子『海に落とした名前』

海に落とした名前

海に落とした名前

 多和田作品を読むのはこれで3作品目。ドイツで暮らし日本語で綴る作家らしく、軽やかで不思議で面白味をたたえた短篇集です。
 冒頭の「時差」は、ベルリンの日本人マモル、ニューヨークのドイツ人マンフレッド、東京のアメリカ人マイケルが過ごすとある一日の様子を切り取り「時差」を描きながら同時に、恋愛に対する温度差、片思いをも含みを持たせて描いているところが興味深かった(さりげなく3人が3人ともかつて関係があった同性愛者で、思う相手に思うようには思われていない三角関係なところが思いっきりツボだったりする/笑)。
 「U.S.+S.R. 極東欧のサウナ」は、視野人物の思考をありのままに忠実に描いて、ヘンといえばヘンだけど、不思議な面白味がある作品。視野人物たる人物の思考の道筋がユニーク。翻訳とはこういうものなのかなと、なぜかヘンなところで納得してしまった。
 表題作はまさに「海に名前を落としてしまった」私が、名前を取り戻そうとするお話。私のポケットに突っ込まれたままのレシートが、名前を忘れてしまった私の唯一のアイデンティティ。私がレシートに変換されてしまう哀しみと滑稽さ。名前を忘れたことによる喪失感としがらみからの開放感が何ともいえません。彼女を取り巻く人々が信用ならん人間ばかりで、何が真実で現実なのかがあやふやで、地に足がつかない頼りないけれど、ふわふわした不思議な浮遊感を味わえる。読んでる最中はあの胡散臭い兄妹のように彼女に事実を、名前を、自分を取り戻して欲しいと願っていたはずなのに、終いにはそんなのはどうでも良くなって、今が良ければどうでもいいじゃんとか思ってました。
 「U.S.+S.R. 極東欧のサウナ」、「時差」、表題作の順で面白かったです。3番目の「土木工事」は、シュールな話かと思ったら結局は介護の話なんですもん。物語の飛躍についていけなかったです。うーんうーん(汗)。